−卑弥呼のロマン漂う路−


 卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡が33面も出土したことで有名な黒塚古墳をはじめ、「やまと」王権と関わりのある古墳が数多く点在する、古代ロマンあふれるコースです。
 特に崇神天皇陵付近の景色は、有名な写真スポットで、その眺望はすばらしく、多くの写真愛好家が訪れる場所となっています。




おおよその距離と所要時間

    長岳寺駐車場〜黒塚古墳〜長岳寺駐車場   →3.5q(50分)




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◆イラストマップ
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⇒PDF版(印刷用)     ⇒縮尺を揃えたマップ


ハイキングマップは、JR天理駅横の天理市観光物産センター(2017年3月末まで休館)・トレイルセンター(2017年3月末まで休館)・石上神宮休憩所・市役所内の産業振興課で入手することができます。ただし、コースによっては置いていない場所もありますのでご注意下さい。

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 ミニガイド

【長岳寺】
駐車場・トイレ有
 天長元(824)年、空海が開いたという古刹です。春はつつじ、秋は紅葉で有名です。本尊の阿弥陀三尊像は藤原時代末に作られました。
 重文の庫裏でいただくそうめん(冬はにゅうめん)は、風情もあって名物となっています。
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【天理市トレイルセンター】
駐車場・トイレ有
 山の辺の道沿いに建ち、ハイカーの休憩用と観光情報の提供を兼ねた施設です。売店はありませんが、無料のお茶とテーブル席が用意されています。また、館内には東海自然歩道や山の辺の道の案内、33面もの三角縁神獣鏡が出土したことで有名な黒塚古墳の石室模型などが展示されています。
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【崇神天皇陵】
駐車場・トイレ有
 字名をとって行燈山古墳とも呼ばれています。山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのうえのみささぎ)と古い文献に記され、大和朝廷最初の王とされる第10代崇神天皇の陵墓として宮内庁により管理されています。全長、約242mの前方後円墳で、4世紀後半でも早い段階の築造です。
 周りには段違いの周濠が巡り、展望もバッチリです。
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【天神山古墳】

 伊射奈岐神社境内にある前方後円墳です。
 現在の国道169号線施設に伴い、墳丘の東側半分が削られ、竪穴式石室が見つかりました。石室には木櫃があり、41kgもの真っ赤な水銀朱が見つかりました。また、23面の鏡や刀剣類も発見されましたが、人が葬られた痕跡はありませんでした。アンド山古墳、南アンド山古墳と同様に崇神天皇陵の陪塚と考えられています。
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【景行天皇陵】

 この古墳も字名をとって渋谷向山古墳とも呼ばれています。崇神天皇の孫で、日本武尊の父にあたる景行天皇の陵墓とされています。山辺道上陵(やまのべのみちのへのみささぎ)と記される古墳で、宮内庁により管理されています。全長300mの前方後円墳で、4世紀後半の築造とされています。古墳の南は桜井市の纒向遺跡が広がるところで、「ヤマト王権」発祥の地とされています。
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【天理市立黒塚古墳展示館】
駐車場・トイレ有
 黒塚古墳は、オオヤマト古墳群の支群、柳本古墳に属する前方後円墳です。1998年1月に行われた発掘調査で、後円部に未盗掘の竪穴式石室が発見され、多数の鏡などが出土しました。2002年10月には公園内に展示館がオープンし、竪穴式石室を実物大で再現・展示し、三角縁神獣鏡33面、画文帯神獣鏡1面のレプリカ、鉄製刀剣類などの出土遺物が展示されています。
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【黒塚古墳(2001年1月、県史跡に指定)】

 全長約130mとやや小型ですが、4世紀初め頃につくられた前方後円墳です。1997年夏からの調査で見つかった鏡・刀剣・甲冑などの副葬品が1998年1月に朱に染まった未盗掘の石室で公開されました。中でも特筆されるのは卑弥呼の鏡と呼ばれる三角縁神獣鏡で、33面も出土し、県内はもとより、これまで32面と最大の出土数を誇っていた京都府山城の椿井大塚山古墳と並ぶことになりました。邪馬台国畿内説の最大の弱点とされていた県内の三角縁神獣鏡の少なさを補う以上に衝撃の大きい成果となりました。
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発見コラム  「五智堂と柳」 

 奈良時代、柳本の地は大きい楊樹に因む霊地ということで、五智堂(真面堂)が建てられ、付近を楊本と名づけたという地名伝説があります。
 この五智堂は、長岳寺の飛地境内で、奈良朝の頃に善無畏三蔵(ざんむいさんぞう)という人によって創建されたと伝えられています。
 現存するものは、鎌倉末期の作と考えられ、明治41年に重要文化財として国の指定を受けました。
この五智堂は、どこから見ても正面なので「真面堂」、形が小さいので「マメ堂」、また、支柱を除けば四方吹き放しとなるため「傘堂」などと呼ばれています。
 今はもう、無くなっていますが、江戸時代には床が張ってあり、上街道を通る旅人の休憩所になっていたものと思われます。
 
五智堂
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