−影媛の伝説悲話が残る路−


 石上神宮から影媛ゆかりの布留の高橋をわたり、青垣の山裾をたどって北へ向かうコースです。影媛伝説のあとを追いながら弘仁寺・正暦寺・円照寺など、山あいに隠れるように点在する清らかな寺々が点在します。
 天理から奈良へと続く山の辺の道(北)コースは、天理〜桜井間の(南)コースにくらべて知名度も低く、訪れる人も少ないのですが、それだけにのどかな景観と俗化されていない、魅力的な史跡が残されているコースといえます。



おおよその距離と所要時間

    天理駅〜円照寺前バス停 →10.9q(2時間30分)



クリックすると拡大版になります
◆イラストマップ
(↑クリックすると拡大版に移動しますが、画像が大きいので時間がかかります。)


⇒PDF版(印刷用)     ⇒縮尺を揃えたマップ


ハイキングマップは、JR天理駅横の天理市観光物産センター(2017年3月末まで休館)・トレイルセンター(2017年3月末まで休館)・石上神宮休憩所・市役所内の産業振興課で入手することができます。ただし、コースによっては置いていない場所もありますのでご注意下さい。

このコースのマップは、近畿日本鉄道(近鉄)でもダウンロードすることができます(PDF版)。
 該当のページへは、
 @近鉄HPトップを開く。
 A画面中央にある「お出かけ前にチェック!」コーナーの「散策・ハイキングマップ」をクリック。
 B緑色に白抜きの文字、「てくてくまっぷ」をクリック。
 と、お進みください。

   【奈良-7】北・山の辺の道コース(1)
   【奈良-8】北・山の辺の道コース(2)
   【奈良-9】山の辺の道コース
   【奈良-11】大国見山コース
   【奈良-12】龍王山展望コース

 の5つが天理市関係のマップです。

上へ移動
 

 

 ミニガイド

【豊田山城跡】

 室町時代の中頃、大和では越智(おち)党と筒井党の二大勢力がぶつかりあっていました。豊田氏は越智党に属し、興福寺の衆徒(しゅうと)として布留郷の一部に勢力を持つ豪族で、頼英の時代に近郷へ勢力を伸ばしました。その居城跡が豊田山城跡で、標高180mの山地にあり、空濠や土塁の跡などが残されています。また、麓では二重の濠を持つ方形の居館跡が見つかっています。
          ⇒「案内スポット」でもっと詳しく

【白川ダム】
駐車場・トイレ有
 白川ダムは、楢川の上流に作られたダムで、昔からあった白川池を改修したものです。楢川・高瀬川の水をダムに流して、2河川の洪水調節をし、また、農業用水としても利用されています。周りには運動場や公園、散策路も設けられ、市民の憩いの場となっています。

【弘仁寺】

 嵯峨天皇の勅願により弘法大師を開基として小野篁(おののたかむら)が建立したと伝えられています。
 本尊の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は「知恵の虚空蔵さん」と呼び親しまれ、13歳になった子供が知恵を授かりに参詣する十三詣りの風習でよく知られています。
 本堂外陣に掲げられた算額(さんがく)は、数学の問題・解答・説明を記した珍しいもので、答は49桁に及ぶ膨大な数で、正解とはおどろきです。

【正暦寺】
駐車場・トイレ有
 正暦3(992)年、一条天皇の発願により兼俊僧正が創建しました。当初は86の堂塔伽藍を数えましたが、たびたびの兵火、そして明治の廃仏毀釈によって荒廃し、現在は福寿院客殿や本堂、鐘楼などに面影をわずかに留めているだけです。
 参道にそって流れる菩提仙川の清流は、かつて「奈良酒」をつくるのに使われたといわれています。秋ともなれば、あたりは「錦の里」と呼ばれるほどみごとな紅葉で埋まり、多くの人が訪れます。

【円照寺】

 俗に「山村御殿」と呼ばれる美しい尼寺ですが、拝観はできません。開山は後水尾天皇の皇女文智内親王で、寛文9(1669)年、現在の地に移されました。法華寺・中宮寺と並ぶ大和山門跡寺院のひとつです。
 三島由紀夫の小説「豊饒の海」に登場する月修寺のモデルといわれ、清らかな参道や付近の小道には別格の趣が漂っています。






 発見コラム  「影媛伝説」

 5世紀末、ひとりの美女をめぐってふたりの男が争った悲劇について「日本書紀」は伝えています。
 美女の名は豪族物部(もののべ)氏の娘、影媛(かげひめ)。争った男はときの皇太子(のちの武烈天皇)と、朝廷の権力者だった平群真鳥臣(へぐりのまとりのおみ)の子鮪(しび)。
 海柘榴市(つばいち)の歌垣で、すでに影媛の心が鮪ものであり叶わぬ恋と知った皇太子は、鮪を平城山に追いつめて殺し、さらに父の真鳥をも攻め滅ぼしてしまいました。
 恋人の身を案じて山の辺の道を北へ追った影媛がそこで見たものは、愛する男の無惨な死でした。
 泣きながら影媛は歌います。
     
 −石(いそ)の上(かみ) 布留(ふる)を過ぎて 薦枕(こもまくら) 高橋(たかはし)過ぎ 物多(ものさは)に 大宅(おおやけ)過ぎ 春日(はるひ) 春日(かすが)を過ぎ 妻隠(つまごも)る 小佐保(をさほ)を 過ぎ
 玉笥(たまけ)には 飯(いひ)さへ盛り 玉盟(たまもひ)に 水さへ盛り 泣き沽(そぼ)ち 行くも影媛あはれ−

 海柘榴市(つばいち)から布留(ふる)、大宅(おおやけ)、春日(かすが)から平城山(ならやま)へ。この影媛がたどった道こそ、古代の山の辺の道だったと言われています。
上へ移動

「散策の路」トップへ