山の辺の道(北)コース
影媛の伝説悲話が残る路
石上神宮から影媛ゆかりの布留の高橋をわたり、青垣の山裾をたどって北へ向かうコースです。影媛伝説のあとを追いながら弘仁寺・正暦寺・円照寺など、山あいに隠れるように点在する清らかな寺々が点在します。
天理から奈良へと続く山の辺の道(北)コースは、天理~桜井間の(南)コースにくらべて知名度も低く、訪れる人も少ないのですが、それだけにのどかな景観と俗化されていない、魅力的な史跡が残されているコースといえます。
コース紹介
石上神宮から影媛ゆかりの布留の高橋をわたり、青垣の山裾をたどって北へ向かうコースです。影媛伝説のあとを追いながら弘仁寺・正暦寺・円照寺など、山あいに隠れるように点在する清らかな寺々が点在します。
天理から奈良へと続く山の辺の道(北)コースは、天理~桜井間の(南)コースにくらべて知名度も低く、訪れる人も少ないのですが、それだけにのどかな景観と俗化されていない、魅力的な史跡が残されているコースといえます。
区間 | 距離 | 所要時間 |
天理駅~円照寺前バス停 | 10.9㎞ | 2時間30分 |
発見コラム
影媛伝説
5世紀末、ひとりの美女をめぐってふたりの男が争った悲劇について「日本書紀」は伝えています。
美女の名は豪族物部(もののべ)氏の娘、影媛(かげひめ)。争った男はときの皇太子(のちの武烈天皇)と、朝廷の権力者だった平群真鳥臣(へぐりのまとりのおみ)の子鮪(しび)。
海柘榴市(つばいち)の歌垣で、すでに影媛の心が鮪ものであり叶わぬ恋と知った皇太子は、鮪を平城山に追いつめて殺し、さらに父の真鳥をも攻め滅ぼしてしまいました。
恋人の身を案じて山の辺の道を北へ追った影媛がそこで見たものは、愛する男の無惨な死でした。
泣きながら影媛は歌います。
-石(いそ)の上(かみ) 布留(ふる)を過ぎて 薦枕(こもまくら) 高橋(たかはし)過ぎ 物多(ものさは)に 大宅(おおやけ)過ぎ 春日(はるひ) 春日(かすが)を過ぎ 妻隠(つまごも)る 小佐保(をさほ)を 過ぎ
玉笥(たまけ)には 飯(いひ)さへ盛り 玉盟(たまもひ)に 水さへ盛り 泣き沽(そぼ)ち 行くも影媛あはれ-
海柘榴市(つばいち)から布留(ふる)、大宅(おおやけ)、春日(かすが)から平城山(ならやま)へ。この影媛がたどった道こそ、古代の山の辺の道だったと言われています。